ビブリア, Edizioni 92-96天理大学出版部, 1989 |
Dall'interno del libro
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Pagina 195
... なった経緯を語る。本来であれば,クレイオの下僕たる作者は,どこまでも忠実に対象を追いかけて,客観的かつ公平に,事実を観察すべきであるのだが、名誉と親切心という紳士の美徳を捨てることが出来ずに,公爵の受けた恥辱を憐れんで,今ひととき公爵を付け ...
... なった経緯を語る。本来であれば,クレイオの下僕たる作者は,どこまでも忠実に対象を追いかけて,客観的かつ公平に,事実を観察すべきであるのだが、名誉と親切心という紳士の美徳を捨てることが出来ずに,公爵の受けた恥辱を憐れんで,今ひととき公爵を付け ...
Pagina 204
... なっている。他の歌はない。従って「越より出羽へ」六十九首の中七首だけがノートにある。だからこの時携えて寺泊馬市すてふ海を越えさどにわたらん時もあらぬか(抹消した文字があって、最後にこうなっている)われ一人寺泊より流されん身となるもよし君 ...
... なっている。他の歌はない。従って「越より出羽へ」六十九首の中七首だけがノートにある。だからこの時携えて寺泊馬市すてふ海を越えさどにわたらん時もあらぬか(抹消した文字があって、最後にこうなっている)われ一人寺泊より流されん身となるもよし君 ...
Pagina 327
... なったといえます。かかることから,これから申し上げることは全く私個人の,唐突な考えかもしれませんが,今日のインキュナブラの定義,即ち 15 世紀刊本=インキュナブラと言う点について何か納得しがたい思いを抱くようになったのです。言い換えますと ...
... なったといえます。かかることから,これから申し上げることは全く私個人の,唐突な考えかもしれませんが,今日のインキュナブラの定義,即ち 15 世紀刊本=インキュナブラと言う点について何か納得しがたい思いを抱くようになったのです。言い換えますと ...