ビブリア, Edizioni 64-70天理大学出版部, 1976 |
Dall'interno del libro
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Pagina 73
... あります。しかし、問題は従来とは全く異なった外来文化、つまり活字印刷技術をどう受け入れたか、その受け入れ方、方法ということであります。奈良時代より伝統ある整版技術を持ちながら、どうして急に外来文化である活字様式のものに乗り換えたか。これ ...
... あります。しかし、問題は従来とは全く異なった外来文化、つまり活字印刷技術をどう受け入れたか、その受け入れ方、方法ということであります。奈良時代より伝統ある整版技術を持ちながら、どうして急に外来文化である活字様式のものに乗り換えたか。これ ...
Pagina 79
... あります。これをどう解釈するか。私は活字の高さに原因があると考えるのであります。即ち、一字一字活字を植えて行く場合、現代の活字の如く高さが一定していれば問題はないのですが、当時の活字は高さが必ずしも一定していない。例えば、只今展示中の ...
... あります。これをどう解釈するか。私は活字の高さに原因があると考えるのであります。即ち、一字一字活字を植えて行く場合、現代の活字の如く高さが一定していれば問題はないのですが、当時の活字は高さが必ずしも一定していない。例えば、只今展示中の ...
Pagina 80
... あります。この叢話の著者成俔(一四三九一一五〇一)は、十五世紀末の人で、文禄より約九十年前の人物であります。としますと、少くとも成俔の生きていた頃、文禄より九十年前にすでに朝鮮においてコメ物等を使って活字を固定していたことがわかります ...
... あります。この叢話の著者成俔(一四三九一一五〇一)は、十五世紀末の人で、文禄より約九十年前の人物であります。としますと、少くとも成俔の生きていた頃、文禄より九十年前にすでに朝鮮においてコメ物等を使って活字を固定していたことがわかります ...