ビブリア, Edizioni 101-105天理大学出版部, 1996 |
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みることにしよう。二伝記的史料の検討( 1 )応挙は享保十八年(一七三三)五月一日の生。丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市曽我部村穴太)の出身で、十一( 1 ) ( 16 )・二歳の頃、あるいは延享四年(一七四七)、応挙十五歳の頃、あるいは十七八歳の頃に上京し ...
みることにしよう。二伝記的史料の検討( 1 )応挙は享保十八年(一七三三)五月一日の生。丹波国桑田郡穴太村(京都府亀岡市曽我部村穴太)の出身で、十一( 1 ) ( 16 )・二歳の頃、あるいは延享四年(一七四七)、応挙十五歳の頃、あるいは十七八歳の頃に上京し ...
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... 応挙が「宝暦中、先帝(櫻町院)ノ宮嬪蓮池院尼公(山本相公ノ女) =仕」とされているところから、宝暦(一七五一六四)末年と考えるのが自然だろう。「宝暦年中」と言えば応挙が十九歳から三十一歳迄の間。応挙はこの間銭舜拳の花鳥図を模したりして評判になっ ...
... 応挙が「宝暦中、先帝(櫻町院)ノ宮嬪蓮池院尼公(山本相公ノ女) =仕」とされているところから、宝暦(一七五一六四)末年と考えるのが自然だろう。「宝暦年中」と言えば応挙が十九歳から三十一歳迄の間。応挙はこの間銭舜拳の花鳥図を模したりして評判になっ ...
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... 応挙の眼鏡絵」、および久保田米僊『米僊画談』(一九〇二年刊)参照。( 18 )佐々木丞平「円山応挙の前半生」(京都大学文学部美学美術史学研究室『研究紀要』第十二号、一九九一年刊)参照。なお、応挙と同じ丹波国の出身であった石田梅石の弟子手島堵庵の ...
... 応挙の眼鏡絵」、および久保田米僊『米僊画談』(一九〇二年刊)参照。( 18 )佐々木丞平「円山応挙の前半生」(京都大学文学部美学美術史学研究室『研究紀要』第十二号、一九九一年刊)参照。なお、応挙と同じ丹波国の出身であった石田梅石の弟子手島堵庵の ...